スポーツ的思考と芸術的思考

今回の記事では、スポーツ的思考と芸術的思考と勝手に二つに分けて完全な私見での考え方の違いを論じていこうと思います。

 

まず今回気を付けてほしいのは、そのままスポーツと芸術の違いを話していくのではなく人生に対する姿勢の話をしていく点であるということです。

 

それではまず自分が思うスポーツ的思考についての見解を簡単に言うと、「科学的で合理的な誰もがわかりやすいものを追い求める考え方」だと思います。

 

スポーツ的な思考では、科学的に正しいとされたものに則って行動することでより効率的に見えやすい結果や成果を出そうと考えます。例えばそれは、お金、人間関係、能力などをより早くより簡単に得ようといった考え方です。

 

そして次に芸術的思考についての自分の見解を表すと、「自らの信念に従った自分にとって美しく価値のあるものを作り出す考え方」だと思います。

 

つまり芸術的な思考では、基本的なスタンスとして自分の行動を科学的なものなどに則ってもよいのですが自分のやりたいことをやるというものがあると思います。

 

芸術的思考には、科学のように合理的といった原理ではなく自分の価値観によって行動や考えをするので、自分以外の外側には基本的に答えは存在しません。自らがやりたい、やろうとすることこそが答えだからです。

 

よってこの考え方を持っていれば、お金や人間関係も周囲の見え方などに関係なく自分の価値観にさえ合っていればいいので、お金持ちが自分にとって理想なのであればそれを目指せばいいし、そうでないのなら別の自分のやりたいことを追い求めればいいのです。

 

よく自分についていつでも問いかけてください。お金持ちの人や人間関係に富んだ人を見ると羨ましいと思ったとき、本当にそのような人になりたいと思うのかどうかということを。

 

世の中には、ビジネスで大成功していても野菜食えといっただけでキレてしまう人がいたり、女性と関係を持つのがうまくても相手のことを何も考えられずに自分に酔ってるオナニーみたいなセックスしかできない人もいます。

 

彼らは外側の人間から見たら見えやすい富や力を持っていて優れているように評価されます。これは典型的なスポーツ的思考であるといえます。

 

特に現代では科学的に正しいやり方などで人生を成功させようといった傾向が強いと思います。この成功とは、多くが「金をたくさん稼ぐこと」を指しているように見えます。

 

なぜこのような風潮があるのかといえば、やはりお金のようなステータスは他人と客観的に比べて優位に立っていることになるためです。

 

スポーツ的思考では、とにかく数字を気にする傾向が強いです。お金の額、友人の数、フォロワーの数、いいねの数・・・などなど。

 

こういったことで皆が我が我だと「競い合ってる」ように見えます。まるで仕事の時だけでなく、プライベートの時ですらビジネスをやっているような感覚だと思います。

 

確かにスポーツ的な思考というのは合理的さを求めているので、仕事をしているときなどには不可欠です。なぜなら、ビジネスとは基本的には競争だからです。

 

ですがこれをプライベートでもずっと意識しようとしていれば常に競争のストレスがかかるので休むのも難しく、そして自分らしいふるまい方もできなくなっていきます。

 

休日でさえ時間をタイトに考えて、生産的な時間を過ごそうと考えたり、リフレッシュのために無理に趣味を見つけようとしたりやろうとしたりすることもこれに当たると思います。

 

趣味や自分の余暇の過ごし方、自分のやりたいことですら他人からの見栄えや差別化などを気にして他人からどう評価されるか、優れていると思われるかどうかなどを気にしてしまうことになるのです。

 

これでは自分のやりたいことや人生でさえも、他人からどう見えるか、どれ程優れているか、どう行動していくかということの答えを自らの外側に求めてしまうことになります。

 

それではここから、芸術的思考による価値観の話をしたいと思います。これは科学などによって答えを求めようという姿勢ではないので複雑な話にはなってしまいますが、

 

「自分の行動や価値基準を外側に求めるのではなく、内側に見出すといった姿勢」

 

これが基本のスタンスだと思ってください。

 

いきなり答えを出すようですがパブロ・ピカソという数世紀前に活躍した芸術家の言葉である、

 

「私は捜し求めない、見出すのだ」

 

というものにこの芸術的思考がよく見て取れると思います。

 

つまりこの考え方だと、答えとはそもそもあるものではなく自分で作るものだということになります。これができると、自分が今やること、これからすること、やりたいことをより主体的に決定することができるのです。

 

例えば、仕事をやる時もカッチリと意識しなくても、周囲に迷惑をかけない程度にだらけたりふざけたりしながらやってもいいと思います(もちろん同じパフォーマンスを発揮できていることが前提ですが)。

 

このように、周囲の評価や見え方を気にしないでふるまうやり方を少しずつ実践していけばより慣れてきて結果的に色々なことに挑戦できていくようになると思います。

 

私も自分に自信を持っているのかと聞かれるとそれは何とも言えないですが、他人の目を気にせず自分のやりたいことをやるのが得意な自信はあります。

 

自信がない人はぜひ何かに挑戦するというよりかは、皆が恥ずかしがったり尻込みするようなことなんかを少しずつやってみて欲しいです。

 

これによって少なくとも人が嫌がるようなことをできるという自信がだんだんとついてきます。そうすると自分が今まで嫌だったり目をそらしていたようなことにも取り組んでみようとしたりできるはずです。

 

芸術的思考とはつまり、自分のやりたいことや人生を科学や宗教のようにある一つのものに答えを求めようとせずに自分なりの答えと見つけようという考え方です。

 

このように二つを比較してみると、科学というのも人々がある正しい答えを追い求めるものなので宗教と同じような側面があると分かります。

 

ここで、宗教が違った答えを出す科学を排斥しようとしたように、人それぞれの見解を持とうとする哲学というものはやはり科学至高の考えの人にとっては気に障るものとなっているのですが、この話は長くなるのでまた別の機会に書こうかなと思います。

 

総括すると、これからの人生の考え方として自分が提案したいことが、どうせみんなと合わせて普通でいたりみんなと比べて優れていようとするよりは自分らしく特別な人間になろうとしようということです。

 

皆と比べることが「正しいこと」と思わないでください。他人と比べて正常であることだったり優れていることが「良いこと」だと思われがちですが、それを一度疑ってみてください。

 

自分にとっての良いことを探していきましょう。それは、「オタクであること」でも、「意識が高いこと」でも、「変態であること」でも構いません。

 

それを自分が受容して自分らしくいられることが大事で、それを受容してくれるような人と付き合いましょう。それが一番です。むしろ自分を受容できない相手が悪いと考えてその人は無視するくらいの勢いでいきましょう。

 

大分脱線はしましたが今回はこんなところで終わろうと思います!自分のこんな勝手でどうでもいい話が誰かのためになれればとてもうれしいです!

それではまた、See you next time!