「勉強」することの意味について語ってみる(完全に私見)
今日は本当にどうでもいいのですが、最近勉強に積極的に取り組むようになって感じたことを適当に書いてみます。
今日はあまり長く書くつもりもないので、テーマは一つに絞って話します。
今回のテーマは:「勉強」によって得られる喜び
このテーマについて話そうと思います。
最近勉強してて感じたことは、勉強とは「観賞」だけではなく、「表現」もできるのだということです。
私たちは映画やアニメ(僕の場合)を見るとき、基本的には観賞だけしていると思います。
ですが例えば、同じ作品のことについて友達と話すとき、あのシーンがよかった、あのセリフかっこよかったなどのように、すでにここで自分にとっての表現となっているわけです。
声マネなんかをして笑いをとったり、それこそ物まね芸人なんか学生のいい見本かもしれませんね笑。
このように、勉強においても自分が「表現者」となることが可能です。なんかかっこいいでしょう笑。
では僕もここで「表現者」になろうと思います。この言葉は取り消しませんよ笑。
上の写真は、延期などもありましたがこの前待望の公開を果たした「るろうに剣心The Beginning」のパンフレットの表紙です。
今週の月曜日、僕はこの映画を友達と二人で見に行きました。
この映画を見た後に調べたのですが、この映画の舞台は江戸時代末期、黒船ペリー来航などで鎖国体制をとっていた日本が外国との関わり方について四苦八苦していた時代です。
この時代に、外国の人と交易などをしていくのか、幕府に判断を任せるのか、天皇に形だけの代表者になってもらって幕府が外交を先導していくかなど、それぞれの考えを持つ人々がそれぞれの運動をしていました。
そのなかで、緋村抜刀斎(後の緋村剣心)は、尊王攘夷といった思想を持つ集団の一人でした。
もうこの時点で学校で聞いたことのある単語が出てきて友達とも歴史についての話ができちゃいます。
このように、無駄に思えるような勉強でも意識的に表現(正しくはアウトプットですかね)をすることで色々な発見なんかになって面白いです。
また、日々勉強していることをどう言って面白く表現してやろう、どうやって自分の知識や行動に繋げて表現できるか、なんていったことを常に考えながら勉強すると楽しいですし、知識の定着も良くなります。
あとここでちょっと豆知識なのですがこの剣心のモデルになった「河上彦斎」は、幕末の四大人斬りの一人で、彼の剣術は完全に我流のものだったらしいです。
その剣術は基本的に刀は右手一本で持つといったもので、これだけでも珍しいですがこの中で特に、
「右手に刀、右足は右膝を角度が90度近くになるまで曲げ、左足は左膝が地面につくほど後ろに大きく引き、低く構えた状態で構える」
という所はかなり珍しいものだと思います。
ここ意識して観ると面白いと思いますよ。まあこんな感じで、勉強は「表現」にもなりえるよねという話でした。
ぜひこんなメリットが勉強にあるのだと思っていただけると嬉しいです。それでは~